目的と手段とかの話

最近仕事でよく言われるんですけど、目的を見失っているっていう話ですね。

難しめの仕事になると足が長くなるんで、どうしてもやってる途中に最初の目的を忘れて今やっている作業を完成させることが目的になっちゃって、違う方向にずれていっちゃうっていう話です。

書くと当たり前ですけど、これ難しいんですけどね…。

 

まあでもよくわかります。実際仕事に限らず、ほとんどのことで成果を出せないのはこれに尽きるんじゃないかと思います。だから自分には専門的なスキルというか、別いそんな専門的でなくても、長い間培ってきた知識とか技術がついてないんだろうなあ、と思います。

唯一成功した受験勉強なんかはここらへん、高校受験も大学受験も予備校い任せっぱなしでしたからね。まあそもそも受験勉強なんて他の分野に比べたらちょろいといまは思いますが、少なくとも目的に照らして何をどのように勉強すべきかの手段の取捨選択は自力でやる場合、結構きついっすよね。

ここらへん我々は何も考えず与えられたことをやってればよかった。合格という目的の先のことまで考えるとわからないけど、少なくとも試験を合格するための最適手段を提供してくれてたわけですね予備校は。

受験勉強なんて役に立たないとはよく言いますが、単なる知識が役に立たないという意味よりも、こういう自分で目標立てて、何が必要か自分で考えながら進めていくっていう力がつかないんじゃないですかね。そこらへん、まあちゃんとやっている人はいただろうし、ちゃんと言っている大人たちはいたかもしれませんが、自分は見事にロボットとなり、しかも成功した分自分が得られなかったものに気づかずその経験にしばらく惑わされることとなりましたよ…。

まあ普通のガキにそこまでわかれっつうのも無理な話だと思うんで、早くからこの大事なことに気づいている人も、今の自分のように教えられて学んできたんだとは思いますが。そう考えると、やはり自分の人生には師となるような人の存在が圧倒的に欠けていたなあ、と思いますね。

中学は運動部だけど先輩がいない部、高校はグループ単位で活動する部、大学はノンサー、振り返るとまじで真剣に向き合って指導されたっていう経験がないですね…。部活やっているときは怒鳴られたりはしてましたけど、まああまり生産的なものではなかったので。最低限の根性だけは身に付きましたが。

 

今日もブログとか読書メーターとか今更再開したツイッターとかを統合してネット活動をしようとしてたんですけど、そもそもなんのためにやろうとしているのかわからない。単に流されているだけではないのか、ブログはまだしも今更ツイッターて。

ほかにも昔やってた音楽の理論の勉強したいなーとか、ギターピアノも上達したいなーとか、英語話したいとか簿記の資格取りたいとかいろいろ目的はあるんですけど、本当に必要なのか。少なくとも今の仕事にはほとんど使わないことばかりで、趣味としても今後の具体的なビジョンが全くたっていない。

そんなこと言っていると何もできなくなってしまうので、とりあえずやっていみるっていうのも大事だと思うんですけどね。いかんせんブレが大きすぎる。やりながら先の目標を修正して設定しての繰り返しなんでしょうね、頭ではわかりますが。これがPDCAというやつか。

 

最近真人間になろうとやる気が出てきたのはいいのだけど、いかんせん上記のような無駄なぐるぐるループに陥っていて、休日消耗するだけで何もできずに終わってしまっている気がする。

楽しいことも楽しくできなくなってきているなあと感じます。

エロゲー最近じゃなくてもなんか面白い作品ないっすかねえ。あと耳かきマッサージボイスも有名どころは一通り網羅してしまった感がある。

最近話題のペルソナ5でも買おうか。