伊藤計劃氏の虐殺機関とハーモニーを読んだ

最近SF小説伊藤計劃氏の虐殺機関とハーモニーを読んだ。今までSF小説ってだけでなんとなく敬遠してきてたんだけど、人から勧められたのをきっかけに読んでみた、死ぬほど面白い。

結局SFだろうがなんだろうが、面白いもんは面白い。いまだにSFの定義がいまいちわからんのだけども、これらの作品をSFと呼ぶのなら、普通の小説コーナーに並べてあるのでもSFっぽいのありそうだけどな。

個人的に好きなのはハーモニー。生府による徹底的な管理社会という世界観の設定自体は今の世の中を風刺しているというよりは、完全にまだ見ぬ未来の姿の想像なのだけれど、世の中の息苦しさ、どこかおかしいと感じ抗うというのは、まあいつの時代にもあるような感情なのだろうけど、自己投影をするには十分な要素であった。

物語が描こうとしていた主題とは少しずれてしまうかもしれないけれど、結局こういう自我のはっきりした有能な主人公の筋の通った生き方というのは、自分にとって物語の面白さの重要な要素なのだと思う。別に最強の能力をもっていなくてもいい、本作ではミィハが最強であったように、それには及ばずとも世界においてかなり重要な役割を占めるほどには能力があればよい。

基本的に自分は昔から1番よりもなんとなく2番を好むのだけど、なぜだろう。自己顕示欲が弱いわけではない、そもそも2番を選ぶ時点でそれは違う。1番を目指すというと周りからの嘲笑が気になる、2番なら3番でも4番でも後から納得できる、凡人の中で可能な限り下を見下したいなど潜在意識の表れだろうか。本作はそんなひずんだ自己顕示欲を満たしてくれるのにぴったりな作品である。

というのは、さすがにこの物語の面白さの本質ではないのだけれど、それでも設定やSF的な面白さというよりも、やはり主人公トァンの魅力が面白さの半分ぐらいを占めている気がする。あとの半分の面白さは中盤からの展開の仕方。

そもそも設定とか世界観自体の面白さ、もちろんストーリー展開はそれらを生かしたものになっているので完全に無関係とはいえないけれども、そのSF的な要素自体は面白さの本質ではないと思う。現に世界観的には虐殺機関とハーモニーはリンクしているわけだけれども、虐殺機関のほうは正直そこまで魅力的ではなかった。中盤までは面白かったが最後の方は惰性で読んでいた気がする。描こうとしているテーマは違えど、同じような設定世界観でこうも感じる面白さが違ったのは、いろいろあるんだろうけどやはり主人公の生き様ではないかと思う。

基本的に自我が定まっていないフラフラしたダメ主人公の物語は面白くないものである。自分ではない何者かになりたくてフィクションの世界に行くのに、なぜそこでも自我が定まっていないという共通のダメポイントをもった主人公の背後霊とならなければならないのか。

上記の面白さとは別に、そもそも文章の美しさを味わえるという点では2冊とも極めて優れた作品であったと思う。基本的に物語は本よりエロゲーのほうが優れている派であったんだけれども、文章の美しさを味わうという意味では、紙の本のほうが優れていると感じた。やはり一文一文断片的に表示されるエロゲーは、どうしてもリズム感とかまとまりでの文章としての美しさみたいなのを感じにくいんじゃないか。これは目的が違うから、総合的にどちらが優れているとかいうことは言えないんだけれども。

今までは文章のリズム、流れを味わうという意識があまりなかったから、エロゲーでなかったとしても映画とかドラマよりも紙の本を好んで読む人は、この文章そのものを味わう感覚を大事にしているんだろうなあと思った。逆にエロゲー楽しめない人は、文章に意識が行き過ぎて、音楽とか絵とか組み合わさってあの表示される一文一文を噛みしめながら進める感覚を味わえていないんだと思う。

 

以上、感想。千桃はもうやるのをあきらめたので、エロゲーは次やる作品を模索中。