結局何もできていない

調子としては去年とは比較にならないぐらい最近はまともな人間らしい生活を送っていると思います。

やはり会社員2年目となり下も入ってきたことから、最低限やるべきことはやらねばという意識が芽生えてきたように思います。私の中の責任感は大学4年間で死んだと思っていましたが辛うじてまだ生きていた。

で、いろいろ始めたんですよ。英語の勉強を始めてみたり、簿記の勉強を始めてみたり、思考トレーニング系の本を買って毎日時間をはかって実践してみたり、ラジオのシャドーイングをしてコミュ力改善をはかったり。全部仕事を少しでもマシなレベルへと考えてのことでした。

その流れで少なくともこういうトレーニングをやっている、という自信だけは確かについていき、仕事でも以前よりは堂々とできるようになったのかと思います。そしてそれはプライベートでの人前に出た時の自信のあり方にも影響し、以前より円滑に同期や友人と話せるようになったかと思います。その結果、人と話す機会は以前より格段に増え、休日も家で一日中寝ているなどということはなくなり、精神的には以前よりもだいぶ安定したものとなっています。

 

ただ、やはり上記のようなトレーニングをしてて思うのは、しょせんは与えられた作業をやっているだけであって、本質的に自分で何か考えて実行する力、何か目的・目標を決めそれを達成するのに必要なことは何かを考え行動へ落とし込む力、みたいなものは相変わらず全く身についていないのではないか、思います。

上記のトレーニングは文字通りトレーニングであって、スポーツでいえば筋トレ走り込みのようなものであり、実際に仕事の場で必要とされる力を身に着けるには仕事そのものに今まで以上に全力で取り組むか、仕事に近い状況をプライベートでも再現しシミュレートするしか方法はないのかなと思います。

 

どうすれば、プライベートでも人を巻き込んだいわゆる企画的な活動ができるようになるのか。

私はドMではありますが、それはあくまで上記のトレーニング的な受験勉強的な作業に対してのみであり、自分でゼロから行動を考えることからは逃げてしまいます。

まずはやること、やっているうちに苦痛がなくなり楽しみになっていく、というよく言われるアドバイスは理解しています。が最初の一歩が難しい。とりあえず私はトレーニング的な活動については、会社員2年目と後輩からのプレッシャーという強制力が働いた結果、はじめの1歩を踏み出すことができ、まずはやってみるというラインを超えることができました。企画的な活動についてラインを超えることができるのはいつごろになるのでしょうか。

結局外部からの強制力も自分の中で強制力として認識しない限りきっかけとしては機能しなくて、これは結構自分の鈍さにやられる可能性があります。

就活は強制力がなかったとして、去年とかは上司からかなり強制力自体は働いていたはずなんですが、結局自分の甘えが勝ってしまし、結果として何も成長していないわけではないけど、非常に無駄の多い1年を送ったと感じています。今別の外部要因が働きそれがようやく自分にとっての強制力として認識されうまく働ている感じです。

自分の意志などなんの役にも立たない、重要なのは外部からの強制力だということはよく聞きますが、それも結局自分の中で飲み込んで正しく認識する必要があるんですよね。そうなるとやっぱり自分の意志の問題じゃないかという気がしてきますが。

まあとにかく自分は今会社員になって1年半たったということ、そして現在25歳でありもうアラサーに突入していて親は自分の年ぐらいのときには結婚していたという現実を改めて認識することによって、いつまでも受験勉強の延長をしている場合ではない、部屋で消費活動ばかりしている場合ではない、ということを言い聞かせることで強制力と自分の認識をリンクさせていきたいと思います。

 

話は変わって最近やっているゲーム、読んでいる本についてなんですが、千桃はやはりあれからほんのちょびっと進んだだけでほとんどやれていません。いくら面白くなるといわれてもあの途中のダレ感はちょっと進める手が止まってしまいます。

そういえば思い出したけど、自分の中に面白いゲームの基準として、途中でダレることなく最後まで楽しませてくれる、みたいなのがあった気がします。あれだけ長いしかも基本テキストを読むだけという形態で、多少ダレるところがあるのは致し方がないという気はします。

だからこそ、至るところにダレないよう工夫して楽しませてくれるゲームは、たとえとんでもないどんでん返しやトリック、感動がなかったとしても素晴らしいゲームであると思います。前作の大図書館とかは、その意味では最たるものだったと思った記憶があります。なんというか、続きが気になってどうしてもやめられないというわけではないんだけど、いつ始めても面白いという。あと、月に寄り添う乙女の作法なんかもその類だと思います。

で、たとえ最高級のどんでん返しがあったとしても、そこまでの話がめちゃくちゃつまらない長いものだったらどうでしょうか。それはたとえどんでん返されても、そのどんでん返し自体は最高級のものであったとしても、要は今までつまらなくてしょうがなかったものをどんでん返されるわけですから、そこに感動はなくそれはもはや作者のオナニーではないでしょうか。

というわけで、ある程度の面白さが作品全体において保障されている、というのが素晴しい作品の前提条件であると思います。その上、最後に最高の盛り上がりを見せてくれればなおよし。でもなかなかそこまで完成された作品は少ないかと思います。最後がちょっと締まらなかったなーみたいな。でもそれまでの話が面白ければそれまで楽しませてもらったとして、それは自分にとって素晴らしい作品になります。終わりよければ全てよし、と言いますが、エロゲにおいては終わりはよくなくてもよい、逆に終わりだけよくても他大部分がダメだったらダメだと思います。

 

あと読んだ本としては、虐殺機関、ハーモニー、好き好き超愛してる(?)を読みました。最近エロゲ離れが進んでいる気がしますね。

社会人になってやったのって、彼女のセイイキ、星空のメモリア、見上げてごらん夜空の星を、レミニセンスリコレクト、サクラの詩、向日葵の教会と長い夏休み、素晴しき日々、ぐらいか。まあまあやってるか。後から思い出してでもいいからセイイキ以外ちゃんと感想を書こう。

積んでるのは、終わる世界とバースデイ、紙の上の魔法使い、魔女こい日記、星メモエターナルハート、前3作は評判いいしそのうち崩します。

SFっていうのもあまり読んだことがなかったんですが、さすがにこのレベルは面白い。特にハーモニーは小説を読んでいる主人公気分を味わえるのもそうなんだけど、実際に社会がこうなったらどうする、そうなったときどうするべきなんだ、今の状況と細かい差はあれど同じことが起こっているんじゃないか、とかそういうことを考える機会が多かったように思う。SFってそういうものなのか。

サイエンスフィクションの定義がいまだによくわからないけど、現実にはあり得ないけど、将来あり得そうな科学技術に関連した独自の世界観ってことでいいのかな。だとしたら上記のようなことは、当然頭に浮かぶもので、結構SFいいんじゃないかと思う。もっと現実離れした話のイメージがあったけど、いや現実離れはしているんだけど、どこか今の世の中を風刺した感じがある。読んだやつがたまたまそういう作風だっただけだろうか。

 

ブログとは別に、エロゲー批評空間とか読書メーターとかに登録して、その都度感想を書くようにしようか。