もう一度なんか書く

 最近何らかのアウトプットをしたい、せねばという焦りから再開。

 

今度こそ肩ひじ張らずに、思ったことを素直に書くようにする。

無理に飾らずあるがままをさらけ出すつもりで。

 

以前(3年前)と比べて本質は変わらないものの、だいぶ趣味的なものとか、仕事に対する考え方とかが変わった気がするので、カテゴリも変えよう。

エロゲ以外はだいぶ普通のサラリーマンっぽくなるはず。

 

あとは、少ない人でも読んでもらえるよう、工夫していく必要があるかと思う。

以前はただひたすら書きなぐるだけだったからね。

 

お盆で暇だから、思い立って書いたけど、なんとか続けていこう。

目的と手段とかの話

最近仕事でよく言われるんですけど、目的を見失っているっていう話ですね。

難しめの仕事になると足が長くなるんで、どうしてもやってる途中に最初の目的を忘れて今やっている作業を完成させることが目的になっちゃって、違う方向にずれていっちゃうっていう話です。

書くと当たり前ですけど、これ難しいんですけどね…。

 

まあでもよくわかります。実際仕事に限らず、ほとんどのことで成果を出せないのはこれに尽きるんじゃないかと思います。だから自分には専門的なスキルというか、別いそんな専門的でなくても、長い間培ってきた知識とか技術がついてないんだろうなあ、と思います。

唯一成功した受験勉強なんかはここらへん、高校受験も大学受験も予備校い任せっぱなしでしたからね。まあそもそも受験勉強なんて他の分野に比べたらちょろいといまは思いますが、少なくとも目的に照らして何をどのように勉強すべきかの手段の取捨選択は自力でやる場合、結構きついっすよね。

ここらへん我々は何も考えず与えられたことをやってればよかった。合格という目的の先のことまで考えるとわからないけど、少なくとも試験を合格するための最適手段を提供してくれてたわけですね予備校は。

受験勉強なんて役に立たないとはよく言いますが、単なる知識が役に立たないという意味よりも、こういう自分で目標立てて、何が必要か自分で考えながら進めていくっていう力がつかないんじゃないですかね。そこらへん、まあちゃんとやっている人はいただろうし、ちゃんと言っている大人たちはいたかもしれませんが、自分は見事にロボットとなり、しかも成功した分自分が得られなかったものに気づかずその経験にしばらく惑わされることとなりましたよ…。

まあ普通のガキにそこまでわかれっつうのも無理な話だと思うんで、早くからこの大事なことに気づいている人も、今の自分のように教えられて学んできたんだとは思いますが。そう考えると、やはり自分の人生には師となるような人の存在が圧倒的に欠けていたなあ、と思いますね。

中学は運動部だけど先輩がいない部、高校はグループ単位で活動する部、大学はノンサー、振り返るとまじで真剣に向き合って指導されたっていう経験がないですね…。部活やっているときは怒鳴られたりはしてましたけど、まああまり生産的なものではなかったので。最低限の根性だけは身に付きましたが。

 

今日もブログとか読書メーターとか今更再開したツイッターとかを統合してネット活動をしようとしてたんですけど、そもそもなんのためにやろうとしているのかわからない。単に流されているだけではないのか、ブログはまだしも今更ツイッターて。

ほかにも昔やってた音楽の理論の勉強したいなーとか、ギターピアノも上達したいなーとか、英語話したいとか簿記の資格取りたいとかいろいろ目的はあるんですけど、本当に必要なのか。少なくとも今の仕事にはほとんど使わないことばかりで、趣味としても今後の具体的なビジョンが全くたっていない。

そんなこと言っていると何もできなくなってしまうので、とりあえずやっていみるっていうのも大事だと思うんですけどね。いかんせんブレが大きすぎる。やりながら先の目標を修正して設定しての繰り返しなんでしょうね、頭ではわかりますが。これがPDCAというやつか。

 

最近真人間になろうとやる気が出てきたのはいいのだけど、いかんせん上記のような無駄なぐるぐるループに陥っていて、休日消耗するだけで何もできずに終わってしまっている気がする。

楽しいことも楽しくできなくなってきているなあと感じます。

エロゲー最近じゃなくてもなんか面白い作品ないっすかねえ。あと耳かきマッサージボイスも有名どころは一通り網羅してしまった感がある。

最近話題のペルソナ5でも買おうか。

伊藤計劃氏の虐殺機関とハーモニーを読んだ

最近SF小説伊藤計劃氏の虐殺機関とハーモニーを読んだ。今までSF小説ってだけでなんとなく敬遠してきてたんだけど、人から勧められたのをきっかけに読んでみた、死ぬほど面白い。

結局SFだろうがなんだろうが、面白いもんは面白い。いまだにSFの定義がいまいちわからんのだけども、これらの作品をSFと呼ぶのなら、普通の小説コーナーに並べてあるのでもSFっぽいのありそうだけどな。

個人的に好きなのはハーモニー。生府による徹底的な管理社会という世界観の設定自体は今の世の中を風刺しているというよりは、完全にまだ見ぬ未来の姿の想像なのだけれど、世の中の息苦しさ、どこかおかしいと感じ抗うというのは、まあいつの時代にもあるような感情なのだろうけど、自己投影をするには十分な要素であった。

物語が描こうとしていた主題とは少しずれてしまうかもしれないけれど、結局こういう自我のはっきりした有能な主人公の筋の通った生き方というのは、自分にとって物語の面白さの重要な要素なのだと思う。別に最強の能力をもっていなくてもいい、本作ではミィハが最強であったように、それには及ばずとも世界においてかなり重要な役割を占めるほどには能力があればよい。

基本的に自分は昔から1番よりもなんとなく2番を好むのだけど、なぜだろう。自己顕示欲が弱いわけではない、そもそも2番を選ぶ時点でそれは違う。1番を目指すというと周りからの嘲笑が気になる、2番なら3番でも4番でも後から納得できる、凡人の中で可能な限り下を見下したいなど潜在意識の表れだろうか。本作はそんなひずんだ自己顕示欲を満たしてくれるのにぴったりな作品である。

というのは、さすがにこの物語の面白さの本質ではないのだけれど、それでも設定やSF的な面白さというよりも、やはり主人公トァンの魅力が面白さの半分ぐらいを占めている気がする。あとの半分の面白さは中盤からの展開の仕方。

そもそも設定とか世界観自体の面白さ、もちろんストーリー展開はそれらを生かしたものになっているので完全に無関係とはいえないけれども、そのSF的な要素自体は面白さの本質ではないと思う。現に世界観的には虐殺機関とハーモニーはリンクしているわけだけれども、虐殺機関のほうは正直そこまで魅力的ではなかった。中盤までは面白かったが最後の方は惰性で読んでいた気がする。描こうとしているテーマは違えど、同じような設定世界観でこうも感じる面白さが違ったのは、いろいろあるんだろうけどやはり主人公の生き様ではないかと思う。

基本的に自我が定まっていないフラフラしたダメ主人公の物語は面白くないものである。自分ではない何者かになりたくてフィクションの世界に行くのに、なぜそこでも自我が定まっていないという共通のダメポイントをもった主人公の背後霊とならなければならないのか。

上記の面白さとは別に、そもそも文章の美しさを味わえるという点では2冊とも極めて優れた作品であったと思う。基本的に物語は本よりエロゲーのほうが優れている派であったんだけれども、文章の美しさを味わうという意味では、紙の本のほうが優れていると感じた。やはり一文一文断片的に表示されるエロゲーは、どうしてもリズム感とかまとまりでの文章としての美しさみたいなのを感じにくいんじゃないか。これは目的が違うから、総合的にどちらが優れているとかいうことは言えないんだけれども。

今までは文章のリズム、流れを味わうという意識があまりなかったから、エロゲーでなかったとしても映画とかドラマよりも紙の本を好んで読む人は、この文章そのものを味わう感覚を大事にしているんだろうなあと思った。逆にエロゲー楽しめない人は、文章に意識が行き過ぎて、音楽とか絵とか組み合わさってあの表示される一文一文を噛みしめながら進める感覚を味わえていないんだと思う。

 

以上、感想。千桃はもうやるのをあきらめたので、エロゲーは次やる作品を模索中。

結局何もできていない

調子としては去年とは比較にならないぐらい最近はまともな人間らしい生活を送っていると思います。

やはり会社員2年目となり下も入ってきたことから、最低限やるべきことはやらねばという意識が芽生えてきたように思います。私の中の責任感は大学4年間で死んだと思っていましたが辛うじてまだ生きていた。

で、いろいろ始めたんですよ。英語の勉強を始めてみたり、簿記の勉強を始めてみたり、思考トレーニング系の本を買って毎日時間をはかって実践してみたり、ラジオのシャドーイングをしてコミュ力改善をはかったり。全部仕事を少しでもマシなレベルへと考えてのことでした。

その流れで少なくともこういうトレーニングをやっている、という自信だけは確かについていき、仕事でも以前よりは堂々とできるようになったのかと思います。そしてそれはプライベートでの人前に出た時の自信のあり方にも影響し、以前より円滑に同期や友人と話せるようになったかと思います。その結果、人と話す機会は以前より格段に増え、休日も家で一日中寝ているなどということはなくなり、精神的には以前よりもだいぶ安定したものとなっています。

 

ただ、やはり上記のようなトレーニングをしてて思うのは、しょせんは与えられた作業をやっているだけであって、本質的に自分で何か考えて実行する力、何か目的・目標を決めそれを達成するのに必要なことは何かを考え行動へ落とし込む力、みたいなものは相変わらず全く身についていないのではないか、思います。

上記のトレーニングは文字通りトレーニングであって、スポーツでいえば筋トレ走り込みのようなものであり、実際に仕事の場で必要とされる力を身に着けるには仕事そのものに今まで以上に全力で取り組むか、仕事に近い状況をプライベートでも再現しシミュレートするしか方法はないのかなと思います。

 

どうすれば、プライベートでも人を巻き込んだいわゆる企画的な活動ができるようになるのか。

私はドMではありますが、それはあくまで上記のトレーニング的な受験勉強的な作業に対してのみであり、自分でゼロから行動を考えることからは逃げてしまいます。

まずはやること、やっているうちに苦痛がなくなり楽しみになっていく、というよく言われるアドバイスは理解しています。が最初の一歩が難しい。とりあえず私はトレーニング的な活動については、会社員2年目と後輩からのプレッシャーという強制力が働いた結果、はじめの1歩を踏み出すことができ、まずはやってみるというラインを超えることができました。企画的な活動についてラインを超えることができるのはいつごろになるのでしょうか。

結局外部からの強制力も自分の中で強制力として認識しない限りきっかけとしては機能しなくて、これは結構自分の鈍さにやられる可能性があります。

就活は強制力がなかったとして、去年とかは上司からかなり強制力自体は働いていたはずなんですが、結局自分の甘えが勝ってしまし、結果として何も成長していないわけではないけど、非常に無駄の多い1年を送ったと感じています。今別の外部要因が働きそれがようやく自分にとっての強制力として認識されうまく働ている感じです。

自分の意志などなんの役にも立たない、重要なのは外部からの強制力だということはよく聞きますが、それも結局自分の中で飲み込んで正しく認識する必要があるんですよね。そうなるとやっぱり自分の意志の問題じゃないかという気がしてきますが。

まあとにかく自分は今会社員になって1年半たったということ、そして現在25歳でありもうアラサーに突入していて親は自分の年ぐらいのときには結婚していたという現実を改めて認識することによって、いつまでも受験勉強の延長をしている場合ではない、部屋で消費活動ばかりしている場合ではない、ということを言い聞かせることで強制力と自分の認識をリンクさせていきたいと思います。

 

話は変わって最近やっているゲーム、読んでいる本についてなんですが、千桃はやはりあれからほんのちょびっと進んだだけでほとんどやれていません。いくら面白くなるといわれてもあの途中のダレ感はちょっと進める手が止まってしまいます。

そういえば思い出したけど、自分の中に面白いゲームの基準として、途中でダレることなく最後まで楽しませてくれる、みたいなのがあった気がします。あれだけ長いしかも基本テキストを読むだけという形態で、多少ダレるところがあるのは致し方がないという気はします。

だからこそ、至るところにダレないよう工夫して楽しませてくれるゲームは、たとえとんでもないどんでん返しやトリック、感動がなかったとしても素晴らしいゲームであると思います。前作の大図書館とかは、その意味では最たるものだったと思った記憶があります。なんというか、続きが気になってどうしてもやめられないというわけではないんだけど、いつ始めても面白いという。あと、月に寄り添う乙女の作法なんかもその類だと思います。

で、たとえ最高級のどんでん返しがあったとしても、そこまでの話がめちゃくちゃつまらない長いものだったらどうでしょうか。それはたとえどんでん返されても、そのどんでん返し自体は最高級のものであったとしても、要は今までつまらなくてしょうがなかったものをどんでん返されるわけですから、そこに感動はなくそれはもはや作者のオナニーではないでしょうか。

というわけで、ある程度の面白さが作品全体において保障されている、というのが素晴しい作品の前提条件であると思います。その上、最後に最高の盛り上がりを見せてくれればなおよし。でもなかなかそこまで完成された作品は少ないかと思います。最後がちょっと締まらなかったなーみたいな。でもそれまでの話が面白ければそれまで楽しませてもらったとして、それは自分にとって素晴らしい作品になります。終わりよければ全てよし、と言いますが、エロゲにおいては終わりはよくなくてもよい、逆に終わりだけよくても他大部分がダメだったらダメだと思います。

 

あと読んだ本としては、虐殺機関、ハーモニー、好き好き超愛してる(?)を読みました。最近エロゲ離れが進んでいる気がしますね。

社会人になってやったのって、彼女のセイイキ、星空のメモリア、見上げてごらん夜空の星を、レミニセンスリコレクト、サクラの詩、向日葵の教会と長い夏休み、素晴しき日々、ぐらいか。まあまあやってるか。後から思い出してでもいいからセイイキ以外ちゃんと感想を書こう。

積んでるのは、終わる世界とバースデイ、紙の上の魔法使い、魔女こい日記、星メモエターナルハート、前3作は評判いいしそのうち崩します。

SFっていうのもあまり読んだことがなかったんですが、さすがにこのレベルは面白い。特にハーモニーは小説を読んでいる主人公気分を味わえるのもそうなんだけど、実際に社会がこうなったらどうする、そうなったときどうするべきなんだ、今の状況と細かい差はあれど同じことが起こっているんじゃないか、とかそういうことを考える機会が多かったように思う。SFってそういうものなのか。

サイエンスフィクションの定義がいまだによくわからないけど、現実にはあり得ないけど、将来あり得そうな科学技術に関連した独自の世界観ってことでいいのかな。だとしたら上記のようなことは、当然頭に浮かぶもので、結構SFいいんじゃないかと思う。もっと現実離れした話のイメージがあったけど、いや現実離れはしているんだけど、どこか今の世の中を風刺した感じがある。読んだやつがたまたまそういう作風だっただけだろうか。

 

ブログとは別に、エロゲー批評空間とか読書メーターとかに登録して、その都度感想を書くようにしようか。

千桃 途中感想など

先週、半年前ぐらいからずーっと楽しみにしてたオーガストの新作、千のはとうつきそめのこうきってゲームを買ってやってたんですけどね。

まだおそらく半分ぐらいしかやってないんですけど、正直あまり面白くないです…。前2作品が素晴らしかったので今回もここなら間違いない、と思ってのことでしたが、やはりそう上手くはいかないものですね。

世間ではユースティアの評価がものすごく高くて、大図書館の評価はまあまあ高いみたいな感じだったと思うんですけど、俺は大図書館も大好きだったんですよ。普通の安定した学園ものって思われがちですけど、そうじゃなくてなんか違ったんですよ。以前そのなんか違う素晴らしさについてはいろいろ書いたことがある気がするんですけど、とにかく、以前の評価にとらわれず新たに変革していくっていうオーガストの姿勢が感じられてかつ面白かったので、気づいたら信者になっていました。

今回もおそらくいろいろ考えての新たな作品を作ろうとしてくれたんだとは思います。実際世界観は今までにないもので、ユースティアと学園モノを混ぜたっていう感じは確かにしますが、十分に魅力的だとは思います。がそもそも世界観云々はそんなに重要ではなくて、話の中でどういう展開を見せるか、世界観を生かしてどうこれまでの成功に甘んじずに新たな面白さを見せるか、みたいなことが重要である、みたいなことを大図書館のときに書いた気がしますし、今でもそう思っています。

とりあえず、序盤~中盤にかけては、心からワクワクする展開はありませんでした。なんででしょうか。やはり主人公が自我をもってはいるものの、どこか定まらない、そういう設定ではあるんで仕方がないかもしれないですが、確固たる主体性をもっていないせいでふわふわした感じになって魅力的に写らないからかなーとも思っています。ユースティアなんかも、主体性をもっていない主人公で、こっちの作品もこれが物語のきもになるわけですが、でも圧倒的な強さと一応強がっていたものであっても一貫した意志はもっていて、魅力的に感じましたからね。

話としてはわかります、わかるんです、特に矛盾もなく丁寧に作られていてああ、なるほどなーって思うことも、いつものように人生の教訓的な内容も節々に出てきて、さすがに作りこんであるなーとは感じるんですが、いかんせん盛り上がりにかけるとしか言いようがない。

しかしまだ中盤ではあると思うので、まだ盛り上がることを一応期待しています。やっぱ主人公があな…。

 

最近はエロゲとは別に、SF小説とか海外の小説、ハヤカワ文庫とかから出ているやつを読んでいるんだけど、なかなかいい。読んでいる自分に酔うことができる。物語は本ではエロゲより劣る、という考えがあって今でも同じなんだけど、文章を味わう、という意味では純粋に本のほうが楽しめる気がする。今読んでるやつは物語も楽しいんだけど、どっちかというと物語を楽しむというより、文章の文体・リズムを楽しんでいる感じがしていて、小説派の人ってけっこうそんな感じで文章を楽しんでいる人が多いんじゃないかと思った。

あと今まで物事を考えるには、小説よりノンフィクションっていう考えはあったけど、結局ノンフィクションを読んでも字面を追っているだけで、自分で考えたとしてもなんというかあくまで著者の文脈にのっとってしか考えられない(たとえ著者とは異なる意見だったとしても)ような気がしてしまって、その分小説は自分の没入間がすごいので、わがごとで考えるという意味では小説・フィクションのほうが効用が高いのではないかと感じた。

うまく説明できないし直観的だけど、こういう没入したときに生まれる考えみたいなものしか結局自分のものにしかならないから、実際役に立つのはフィクション読んで考えたことなんじゃないか。

なんか以前よんだ有名なブロガーで最も効果のある読書方法みたいな記事に同じようなことが書いてあった気がして、今さら実感している。自分の血肉にする方法・血が噴き出すような読書、だったかな。もちろんノンフィクションでもそういう読み方ができればいいんだけど、小難しい分なかなか理解に追われて没入間は小説より劣ってしまうことが多い。

 

君の名は感想など

先々週ぐらいからわりとダラダラ何もすることなく過ごすことはなくなっている。ぼーっとすることはあるし、無駄な外出をしている感はあるけれど、少なくとも家で一日中寝ているということはない。

良い変化、しかもこういうのってたいてい数日で終わるんだけど今回はわりと長続きしている。どういうきっかけかはわからないけど、とにかく流れを断ち切らないように行動だけはするように心がけている。

行動するとやはり罪悪感というかそういうコンプレックスや自信のなさのようなものはなくなってきて、堂々とできるようになるしそれが仕事でもいい循環になると思う。たとえ中身は変わっていなくても、とにかく何かやった無駄に過ごしてはいないということで。

今までは外出が無駄だと考えることが多かったけど、これからは用がなくても外に出よう。掃除とか小さいことでいいからとにかく行動しよう。再び負のループに落ちないように。願わくば、行動の質をもっと人と関わるような意味のあるものにしたいけど、それはなかなか実現できず。

 

先週は君の名はを見てきたんだった。正直物語の展開としては、あっと驚くような展開ではなかったし、自分の価値観経験と照らし合わせて心にささるような物語、というものでもなかった。そういう意味では昨年見た心は叫びたがっているんだは、見終わった後ものすごい自分にささった作品だったな。

でも、決してつまらないというわけではなく、最後の約束された優しい展開には涙がながれそうになった。別にあっと驚くどんでん返しや展開がすべてではない、我々が望み思い描く展開に沿っていきその通りの理想を描く物語もまた素晴らしいことをけいおんという作品で噛みしめている。

ただ、その、我々の望む優しい理想世界を描く場合であっても何か衝撃を与える要素は必要なのだと思う。今回はその、言い方は安っぽいかもしれないけど、パンチが足りないというような印象を受けた。君の名は、に関しては優しい物語でありながら、SF的な要素を含めてハラハラドキドキどんでん返し的な要素ももっていたため、そういう分け方で物語を分類する自分のような人間にとっては、どっちつかずな印象になってしまったのかもしれない。

大ヒットの裏で、はてなブックマークとかをみているといろいろと批判っぽい記事を見かけることが多い気がする。まったく中身は読んでないが。いろいろとストーリーの矛盾点はあるみたいなのでそういうとこが気になる人は気になる人は気になるのだろう。自分としてはそんなことで感動を感じられないとはなんと気の毒だろうと考えてしまうけれど、頭のいい論理を重んじる人はそうなのかもしれない。自分はやはり感覚で生きている人間なので、なんかよくわからなくても泣いてしまうことがよくある。

ところで、最後のほうの一応救われたっぽいエンディング、だけどやっぱり記憶を失ってほどんど覚えていない、だけどお互い泣きながら再会するっていうのは、切なくて胸が苦しくて終わり方としては素晴らしかったと思うし、今回この映画を評価している8割はこのエンディングの締め方によるものだと思う。でも、やっぱり惜しいなと思っていしまうのは、二人が思いを寄せ合った時間が我々にとってあまりに端折って描かれすぎてしまったことかと思う。2時間映画の限界ではあると思う。これが時をかける少女のように我々が見ていないところで絆がはぐくまれていた設定ならまた違ったかもしれないが。

でも、結局我々が見ている展開、という面では君の名は、も時かけも変わらないはずなのに、前者では距離の縮まりに違和感を感じてしまうのは、やはり変な部分で理屈で考えてしまうからだろうか。こんな短期間で入れ替わっただけで恋愛感情をもつのは不自然などと、無粋すぎるものである。

 

最近は映画が豊作でありがたい。というか映画って昔は苦手だったけど、仕事始めて時間がなくなってきた今、2時間で物語的感動をもたらしてくれるのはかなりありがたい。昔はそのスピード感が苦手だったんだけど、今はそんなのんびり物語を楽しむ時間がなかなか確保できないからな。次は声の形を見よう。そしてオーガストの新作をやろう。

 

話は変わって、最近職場の友人からSF小説なるものを借りて読んでるんだけど、これまた面白い。SFってのがそもそもよくわからないけど、日常っぽくないフィクションってことでいいんだろうか。

物語を本で読む、というのはエロゲーマーとしてはあまり今までよしとしてなかったんだけど、気色悪さを承知でいうのならば、SF小説を読んでいる自分に酔える良さが小説にはある。これがなかなかどうしてバカにはできないと思っていて、例えば同じ内容のエロゲを一日家でやっていたのと、SF小説を家でコーヒーを飲みながら窓際で読んだのでは、自分の自信への糧となりようが全く異なる。社会人として生きていくには徐々にプライベートも仕事へ還元していかなければならない。SF小説を読んでいるせいで、文章がもろに影響を受けた恥ずかしい感じになっている感がある。

でも来週は、さすがにオーガストの新作が出るので、千のはとうをやります。

 

酒を飲みながら文章を書くとなかなかいい感じにつらつらと書ける。

シンゴジラと君の名は

先週と今週の土日でそれぞれシンゴジラと君の名はを見てきた。

もともと見る気はなかった、というか映画がそもそもそんなに好きじゃなくて二週連続で見るなんて珍しいんだけど、あまりに話題になってたのとオタク向けっぽかったのと髪を切りに行ったとき美容師さんから勧められたのをきっかけに見に行った。

やはり身近な人、美容師さんは身近ではないかもしれないけど、実際に人から面白いと勧められると、気になってくるし、よし行ってみようかという気になるものだ。

 

シンゴジラの方は、あれが本来のゴジラとかけ離れているのかどうか、あれをゴジラの作品としていいかとかいう話はまったく分からないけど、少なくともいい意味で想像していた内容を裏切られたし、いろいろな社会的メッセージ性が込められるのを感じたけれど、単純にハラハラドキドキの映画としてめちゃくちゃ面白かった。

ゴジラの昔ながらのファンの人とかはあれ見てどう思ったんだろうか。俺みたいなゴジラウルトラマンの敵のような怪獣ぐらいのイメージをもっている人間からしたら、今回のはいい意味で裏切り効果がでて面白く感じられたと思うけど、ゴジラが昔から好きな人からみたら、ゴジラをサプライズの演出に利用されたみたいな感覚になっているんじゃなかろうか。それとも昔から、ゴジラが出る作品はあんな感じで政治的で悲壮的なんだろうか。

今回の作品、やっぱり連想されたのは東日本大震災だし、たぶん作った側も意図して被せた部分もあると思う。事前情報とかは知らなかったし見た後も何も調べていないので詳しくはわからないけど。

あのとき、俺はちょうど大学受験を終えたばかりで日々死んだように眠りながら合格発表を待ち、結果がわかって一人暮らし先に引っ越した後も変わらず死んだように眠っていた。浪人時代も含めて今までの人生に疲れていたんだと思う。二週間遅れぐらいで大学が始まってもサークルには少し顔を出しただけで引き続き死んだような生活をしていた。

とにかくあのころはぽぽぽぽーんのCMはよく覚えているけど、エロゲとアニメ以外何に対しても無関心だったので、なんか大震災起こってやばいことだけは知っていたけど、政府や東電の対応とか、原発事故のやばさがどれぐらいなのかということについてはほんとに表面的なことしかわかっていなかった。後からいろいろと当時の対応のずさんさとかを人づて、ネットづてに聞くだけだ。

で、今回の作品も最初はというか見終わった瞬間はそういう社会批判的な意味合いが強い作品なのかなーと思ったけど、どっちかというと批判というよりは現在の日本の社会が抱える問題提起的なニュアンスで描いてあると感じたので、そこのとこは偉いと思う。

いや、批判ではあるかもしれないけど、決して当時の政府を攻撃するという目的ではないというか。皆作品に出てくる人たち頑張ってたじゃないですか。いろいろとダメっぽい人はいたけど悪人はおらず、意見は対立してもみな自分の正しさを考えて貫こうとしていた。もちろん組織的に問題である点はあったと思うけど、少なくても特定個人を批判するような内容ではなかったと思う。

それが意図してかせずかわからないけど、異なる正義のぶつかりあい、真剣に考えているからこその緊迫感が出ていたと思うし、物語の面白さにもつながっていたと思う。

これは俺が当時の政府や東電の対応をよくわかっておらず、そのためにわけもわからないまま批判すべきではないという立場にとどまっているから感じたことかもしれないが。でも実際現在に至ってもよくわかっていないことは多いんじゃないか。そういった不確かな情報をもとに批判をすべきではないし、するにしてもそれを政治の世界で直接いわず大衆への影響力ばかり多い映画作品でやるのはどうなのかと個人的には思っていしまう。もちろん、影響力がデカいからこそそういった文化的手段で政治的活動をする人はいると思うのだけど、なんというか正々堂々とやればいいのにと思ってしまう。

 

とまあ酒を飲みながら書いていたらいつも通りよくわからない脱線ルートに入ってしまっている。そもそも書こうと思っていたのはこんな俯瞰的な話じゃなくてもっとシンプルにどんな場面や話の流れがなぜ面白かったのかということなのにな。

今回だったら人類がやばいっていう悲壮感とかハラハラ感がメインになるのかと思うけど、そもそもなんで人間はこういうのが好きなのか、本来であればストレスになりうる要因ではないのかと思う。実際俺が小さいころは子供向けの人情劇のテレビ番組とかで悪役が出てくるのが怖くてしょうがなかったし、もうちょっと大きくなって幼稚園とか小学生とかぐらいのときはドラえもんとかでのび太が物語中盤あたりでどでかい失敗(終盤で発覚する、最後はドラえもんが助けるけど)するのを見るのがたまらなく嫌だった気がするんだが。最近はそういうことがなくなった気がする。おっさんになって感受性が乏しくなってガキのころは辛かったぐらいの刺激がちょうどよくなってきたということだろうか。

 

君の名はの感想も書きたかったけど、後にしようか。